壺の中の発酵した思い

人生には思い通りにならないこともある

それが自分にとって大切な事柄で、
ゆずれないと思うことで起きる時
大好きなパートナーや家族や友達と、思うように分かり合えないとか
夢や目標がどうしても叶えられない時
大切なこだわりが貫けない時
そういう時に試してみてほしいことがあります
それは、こころの奥の壺にいれて
発酵させて時をまつ
という作業です
ものによってはですけれど、
こだわりをいったんすてた方がいい場合がある
こういう逆の発想を
いぶかしがる人は多いけれど
がんばるひと、こだわりをもつ人にとって、
そのがんばりを、こだわりを、あきらめる・手放すということは
抵抗・負け・マイナス以外のなんでもなく思えるわけですけれど
わたしはかつて、考えました。
それはどうしてもあきらめたくなかったから。
本当にかなえたかったから。
それにはどうしたらいいのだろうと。
そしてたどりついたひとつの方法が、
叶えたいと思ってたその気持ちを、心の壷にしまっておくこと
これは、けして諦めないための、ある意味、ある状況においては最善の方法とも思われます。
まだ叶わぬその思いは 壺のなかで
だんだんだんだん発酵して (つまり変容して)
これまでとは別の次元のものにうまれかわることができる
後日、外の世界でただしい機会に巡り合った時、
ほとんど自然に発動して
ある時、自分の声になる
これまで産み出せなかった絵のなかの質になる
言葉にのる
これまでなかった音色として
出しえなかった色や形として
全体の空気として
解き放たれていく
それはふと何気なくシェアされ
そこに一瞬ただよう不思議な空気に変化する
それがだれかに触れたとき
それが解き放たれたと一瞬わかる
それがただの自分の錯覚ではないと、それが意味をもっていると
どうして確信がもてるのかといえば、
そんな瞬間をもてたとき
ふと気がつくと 叶っていなかった事柄が
いつの間にか叶うようになっていたり
超えられなかったものが、いつの間にかできるようになってたりしたからです。
空想ではなく わたしの実体験です。
わたしが時折、飲み込みすぎているのを
いぶかしがったり、怖がったりする人もいるけれど、
そういう時、わたしはいつも本当はこのことを語りたい。
日常のなかではとうてい言葉にならないこと
伝えきらないことの方が多いけれど、
そのことに、焦ったり落胆する必要はないのだと、のちに気が付きました。
それはそのまま 昇華の機会になる
それはある種の創作活動だとも思います。
ジョニーキャッシュの歌を聞いていたら こんなことをふと、つらつらと思ったわけでした。
きっと同調のものが流れているんでしょう。
音楽はたましいを救う。
ことばにできなくなった思いを、ふたたび体内によみがえらせてくれるから。

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