柳田さんと小林さんと、魔物について

柳田邦夫の『妖怪談義』について、小林秀雄が語る音声録画を聞きました。

「不安という名の魔物は、みんな心のなかにいる。それを現代は、知識や論理によって心のそとに追い出して、退治してしまった。でも心の一番奥にいる魔物は退治できない。そこに不安というものがある。」
現代の「迷いも悟りもしようとしなくなった人たち」に、都会でお化けの話をしようとすると、もはや、にやり、にやにや、とわらう。と柳田邦男の体験談を小林秀雄が語る。
「あのにやり、という笑いは、心の一番奥にひそむ、退治できないあの魔物の笑いだ」、という小林秀雄の認識には、鳥肌が立ちました。

 

現代人に欠けていると小林がいう「宗教的体験」とは、「わたしの心にひそむ魔物」との出会いのことだろうか。それをなくした現代人は、自分の中にひそんでいる魔物の影を捉える機会をうしなって、すっかり魔物が無意識のなかに身をかくし、自分の目には見えなくなってしまった、そして乗っ取りに成功したとにやりと笑う、とでも言ってるようで、ぞっとした鳥肌が立ちました。そして、そのことをつぶさに見抜く小林秀雄の眼力にも、たった鳥肌なのでした。

自分のうちに潜む魔物の存在をなんらかの形で意識しなければ(魔物が自分の内にすっかり見えなくなってしまえば)、人は悪を外側にしか投影できなくなる。他人にのみ悪を投影したり、それを本気で相手の真実だと思い込んでやまなくなったり、自分とは一線を画したりするだろう。それは、魔物が人を乗りこなす技なのかもしれない。

そうさせないために、意識の光で必要な時にてらすことが、ひとつのコツなのかもしれない。そしたらひょっとすると、他愛のない小さないたずらネズミに簡単に姿を変えて、ひとまず闇のなかに退散したりするかもしれない。

それはつまり、ネガティブな事柄を、他人の内にだけ見出すのではなく、それは自分にもあることだという、いわば勇敢な気付きと、自分をちゃんと見抜く眼力と、他人への共感力、シンパシーをもつということかもしれない。

ネガティブのもつエネルギーは計り知れない。そしてそれはただたんに排除や隔離されるべきものではなく、存在を認めつつうまい距離感でつきあうことが求められるような、切り離せない野生の存在なのかもしれない。

 

 

 

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